こんにちは、宮本代表やで!
長いこと放置してしまったけど、今日からは結構な頻度で更新していこうと思う。
なんでかっていうと、このブログ結構流入あるからやねん。
アナリティクス見てびっくりしたわ。
そもそも見られることを全く前提としてなかったBIP専用のアウトプット展示会が見られとるねん!
しかも、SEOから流入やで。
SNSはまだ分かる。
複数人で運営してるから、各自知り合いが見てくれるとは思うねんけど、SEOは予想外過ぎる。
まぁ、ええわ。
本題に入る。
自由は不自由かもしれない説
本当の自由は不自由だ。
何もない荒野に放り出されたら僕たちはどうするだろう?
そう、彷徨うことになる。
「やったー!自由になれたぞー!」なんて思わないはずだ。
むしろ不自由とさえいえる。
だから、僕たちは多少の制限をかけて生きることが一番自由を感じられる。
では、制限とは何だろうか?
僕は仕事だと思う。
もちろん、自分が楽しいと思えることが前提だが、仕事は自分を程よく律してくれる。
不自由の中の自由
僕たちはよく勘違いをしてしまっている。
仕事をしなくて良い=自由という勘違いだ。
しかし「仕事をしないで良い」という状態は、実は不自由な状態である。
先ほどの例を挙げるなら、荒野に放り出されたみたいなものだ。
仕事を全くしなくなった存在は、荒野を彷徨ったような感覚になってしまう。
「いやいやいや、仕事なんてマジでしたくないからw一生遊んでいたいからw」
と思う人もいるだろうが、それは勘違いである。
生物は必ず循環の中で生きている。
僕たちが「くだらない」と決めつけてしまっているどんな生き物にも役割が存在している。
食べて、食べられて、死に土へ還り、また生み出す。
しかし、仕事を完全にやめてしまった人はどうだろうか?
そう、何も生み出さないのだ。
「いやw毎日遊びながら何かしら生み出してますけどw」
心の底からそんな風に思える人がいるなら、それは仕事をしているといえる。
仕事だと自覚していないだけで、何かを生み出すという行為は立派な仕事なのだ。
その生み出しているものに、世間がいくら価値を感じていなかったとしても、誰か1人にでも役に立っていると思えれば、人は程よい自由の中にいることができる。
真の不自由
真の不自由は「自分は何も生み出していない」と心の底から感じてしまうことだ。
誰の役にも立てていないと感じてしまうことこそが、真の不自由なのである。
つまり、経歴上での仕事をしているかどうかなど関係がないのだ。
経歴上、仕事をしていたとしても、本人が「誰の役にも立てていない」と感じてしまっていたら、それは仕事をしていないのと同じになってしまう。
だから、もしあなたの隣にいる人が汗水を流していたら「いつもありがとう」と一言いってあげよう。
その言葉が彼を自由にするだろう。
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